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良寛さんの嘆き
上越新幹線の脱線もあった。土砂崩れの中での親子三人の救出作業は「もっと早くもっと早く」と日本中が無事を祈った。あの中越地震から五ヶ月になる。 阪神大震災を上回る規模の地震で、死者は少なかったとはいえ、家屋の破壊は一部崩壊まで加えれば三万八千五百二十三棟に及んだというから、避難された方はこの数倍になるだろう。加えて、この冬は十九年ぶりの大雪。被災地の皆さんはこの春をどんなに待ちこがれたことだろうか、陽光を存分に楽しんでいただきたい。
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日時 2010年05月12日 15:30 |
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「目には目を」の誤解
キリスト教は言葉の宗教という。確かに、ヨハネ伝は「初めに言葉ありき」で始まり、イエスが神の意志を言葉でもって示したとなっている。聖書は簡素な表現の中に人間として必要な道徳も多く含まれ、「山上の垂訓」などは私も学生時代にそらんじた記憶がある。ヨーロッパやアメリカを中心とした国の政治家、実業家などがよく聖句を引用して、施策・指針の精神的な基盤としているが、「神もこうおっしゃっている」と思えば内なる自信も確信に変化するに違いない。 ただ、聖書も言葉のみが先行しては神の意志が伝わらない。一方的な確信も困りものだ。 私はキリスト教については門外漢で、不勉強の点は皆さんに補っていただくことにして、思うままに書けば、 「目には目を 歯には歯を」は、テロに対する復讐によく使われているが、本当の意味は「たとえ目をやられても反撃は目まで」ということで、更にマタイ伝には「『目には目を 歯には歯を』といえることをあるを汝等に聞けり、されど我は汝等に告ぐ、悪しき者に抵抗するな。人もし汝の右の頬を打たば、左を向けよ」の示しもある。極め付きは、出エジプト記の「汝殺すなかれ」が戒めの初めに出てくることだろう。
日時 2010年05月12日 15:30 |
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ミレーの「落穂拾い」
先日、ミレーの絵の話を聞いた。ミレーといえば「落穂拾い」である。夕暮れに婦人が穀物を引いた後の落穂を拾っている絵である。だが、聖書には「落穂拾い」は禁じられているというのである。確かに「汝の穀物の落穂を拾うべからず」(レビ記)とある。 これも言葉にとらわれては理解できない。前提に「汝その地の穀物を獲るときは汝等その田の隅々までをことごとく獲るべからず」とあることに注意が要る。初めてこの言葉を聞いたとき私は、次期栽培の肥料のために多少の穀物を残すことかとか単純に考えた。が、「ここには貧しき人への配慮がある」と教えていただいた。つまり、「困窮者が残った麦などを拾い集めることは認めよ」ということのようだ。 人は人間としては平等だが、環境はさまざまで、不遇の時を送っている人もいる。 そこに思いを寄せる行為こそ人間らしい。聖書は地主に配慮を求めているということのようだ。 ミレーは「刈り入れ人の食事(ルツとボアズ)」という絵も残している。これは落穂ひろいをしていた貧しき寡婦ルツを地主ボアズが認めて村の一同に紹介するという絵である。つまり、この二枚の絵を並べて聖書を紐解くと初めてミレーの意図が理解できる。ミレーは貧しき人にも思いを寄せていたということのようだ。 仏典を読むときも「行間を読め」とよく指導された。文面だけを追ってはまだまだ理解不足というのだ。 「格言・金言」は比較的よく口にする。更に意図を理解して味わいを深めたいものだ。 2005.3.24 春彼岸会に
日時 2010年05月12日 15:29 |
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曹洞宗 島田地蔵寺 |
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