◆◆地蔵寺の歴史◆◆
 島田地蔵尊は嘉吉二年(1442年)に福井県の大本山永平寺から樵山和尚が当地に来て「島田山広徳院」として建立した寺です。樵山和尚はもともと鐘崎式部太夫源種国(かねさきしきぶだいゆうみなもとのたねくに)という武士でしたが、ゆえあって出家して多いに禅風を興し、かねてより自分の死期を知りその通りに坐禅をしながら亡くなった傑僧と伝えられています。
 それより代々引き継がれ、明応九年(1500年)には鳴海端泉寺六世大雲秀建和尚によって毛替地蔵尊のご縁によって地蔵尊を本尊として「島田山地蔵寺」と改名しました。
 もともとは現在の天白小学校付近にあったようで、現在の「天白住宅」の地名「横町」は「地蔵寺の横の町」ということ意味と伝わっています。

毛替地蔵(けがえじぞう)
 昔、このあたりに熊坂長範(くまさかちょうはん)という大泥棒がいたそうです。ある日、金持ちの馬を盗み、売ろうと馬市に出掛けましたが、見つかって売れません。
 そこで、お地蔵様に「この馬を何とか売らせて下さい」と一心に願ったそうです。
 すると一夜にして馬の毛色が変わり、売れども人に怪しまれません。恩義を感じた長範はこのお金を貧しい人に分け与えました。それ依頼、この地蔵様は「毛替地蔵」とよばれるようになったそうです。
 今も美しい髪を願う人はもとより、子供さんのこと、仕事のことで悩む人々が、このお地蔵様のもとへ数多く訪れています。