お知らせ ご報告 地蔵寺
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- 2008/04/01
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二〇四二年に開創六百年 |
- 2008/04/01
- 夢の話ですが、二〇四二年(平成五十四年)、あと三十七年後、地蔵寺は創建六百年を迎えます。この年に新本堂建設の夢を見ています。
三十七年後の世界は見当もつきません。日本が消えてしまうことはないでしょうが、青い目の人が日本人といっているかもしれません。・・・もっともこれは私たちの祖先名はすでに経験しています。奈良はシルクロードの終点としてさまざまな外国の人も住む国際都市だったそうですから。 新本堂の夢を叶えるには住職として相応の努力が必要であることは重々承知いたしていますが、皆さまのご協力を得られますよう努める所存です。 できればみなさんとご一緒にこの年を迎えたいですね。念じましょう。
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本堂の耐震工事が終わりました。 |
- 2008/04/01
- 地蔵寺は嘉吉二年(一四四二年)の創建です。北陸の豪族斯波家の末裔が母の菩提のために寺院を建立したことが初めです。ただ、東海道や飯田街道を荒らしまわった熊坂長範の地蔵様信仰(※)は平安時代末期ですので地蔵寺のもとはあったようです。
初代樵山(しょうざん)和尚さまは福井県の永平寺から当地に来ました。以来現住職で三十代となりますが、その間、桶狭間の合戦の流れ火災や水害での移築(かつては現天白小学校付近にあった)がありました。 「毛替地蔵様信仰」が盛んになりましたのは江戸中期と推測(尾張六地蔵参りも始まり、昭和二十年頃までは地蔵寺でも「絵葉書」も販売していました。名古屋東の名所なのです) します。その間には金太郎稲荷様の飛来もありましたが、なんと申してもお支えいだきましたのは檀信徒の皆様です。 先年の開山堂改修では歴代の和尚の行動を知る資料も見つかりました。今回も大正三年発願、大正九年完工の現本堂の建築勧募帳を発見しました。ここでは、正月に二円、盆に一円と血のにじむ様なご寄進をいただいていたことが記録されています。改めて感謝申し上げます。この度の彼岸法要では本尊様の再開眼と報恩の法要を行います。 これからは願いですが、 近年檀信徒の皆様が増加して現本堂では手狭になりました。勿論、木造の建物を大切にすることに異論はなく、長く使用したいと考えて今回の修繕をいたしました。その上で、できる限り多くの皆さんに入っていただくお堂も必要と考えています。 |
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