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「目には目を」の誤解
キリスト教は言葉の宗教という。確かに、ヨハネ伝は「初めに言葉ありき」で始まり、イエスが神の意志を言葉でもって示したとなっている。聖書は簡素な表現の中に人間として必要な道徳も多く含まれ、「山上の垂訓」などは私も学生時代にそらんじた記憶がある。ヨーロッパやアメリカを中心とした国の政治家、実業家などがよく聖句を引用して、施策・指針の精神的な基盤としているが、「神もこうおっしゃっている」と思えば内なる自信も確信に変化するに違いない。 ただ、聖書も言葉のみが先行しては神の意志が伝わらない。一方的な確信も困りものだ。 私はキリスト教については門外漢で、不勉強の点は皆さんに補っていただくことにして、思うままに書けば、 「目には目を 歯には歯を」は、テロに対する復讐によく使われているが、本当の意味は「たとえ目をやられても反撃は目まで」ということで、更にマタイ伝には「『目には目を 歯には歯を』といえることをあるを汝等に聞けり、されど我は汝等に告ぐ、悪しき者に抵抗するな。人もし汝の右の頬を打たば、左を向けよ」の示しもある。極め付きは、出エジプト記の「汝殺すなかれ」が戒めの初めに出てくることだろう。
日時 2010年05月12日 15:30 |
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和尚のひとりごと |
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